先日からこちらのブログでスタートした、シリーズ『日田市の日本遺産』。
2回目の今日は『近世日本の教育遺産群-学ぶ心・礼節の本源-』として
日本遺産に認定されているうちの一つ『咸宜園跡』を紹介したいと思います。
咸宜園は、江戸時代の先哲、廣瀬淡窓が創った日本最大の私塾です。
門下生の中には高野長英、大村益次郎、清浦奎吾、上野彦馬、長三州らがおり、
日本史好きの方なら名前を知らない方は居ないのではないでしょうか。
他にも、政治家・学者・教育者・医者・僧侶・画家などとして活躍している
門下生たちが全国各地にいました。
歴史的にも名の残る人物を輩出したのには、独自の教育システムにありました。
入門時に年齢・学歴・身分を問わない『三奪法』や毎月の成績によって評価する
『月旦評』(今でいう成績表のようなもの!)、寮の共同生活で全員に役割を与える
『職任制』です。このシステムは、明治以降の近代的教育制度の先がけとなった
制度であると評価されています。
多くの功績を残した咸宜園。
現在は、園内に資料館もあり咸宜園と日田の歴史と文化をわかりやすくまとめた映像が
観れたり、解説員による説明を聞くことができます。
咸宜園の歴史だけではなく、廣瀬淡窓の教育に注いだ生涯を知ることにより、学ぶことの
意味について改めて考えることができる場になるのではないでしょうか。
ちなみに日田市内の小中学校では、咸宜園のこと、廣瀬淡窓のことをしっかりと
学ぶ時間があり、淡窓先生が詠んだ『休道の詩』は何も見ずに言えるくらい、
皆さん読み込んでいるんだとか…^^
この詩は友を思いやる詩なのですが、日田の子供たちがやさしい子ばかりなのは
少なからず、淡窓先生の想いが受け継がれているのかもしれませんね^^
すー