令和7年2月16日(日)~3月16日(日)まで、梅の里 日田市大山町にて「日田おおやま梅まつり」が開催される予定です。
西大山の「おおくぼ台梅園」では約6,000本、東大山の「ふるや台梅園」では約3,000本の梅の花が次第に咲き誇り、いたるところに梅の香りが漂います。
そんな時季に開幕するのが「日田おおやま梅まつり」です。この約1ヶ月間のまつり期間中は、無料で梅園が解放され梅園散策が楽しめます。
“梅の里おおやま”で桃源郷のような景色を楽しみながら、ゆったりとしたひとときをお過ごしください。
【日田おおやま梅まつり】
開催期間:2025年2月16日(日)~3月16日(日)
開催場所:おおくぼ台梅園(大分県日田市大山町西大山)
ふるや台梅園(大分県日田市大山町東大山)
主催: 大山まつり実行委員会
お問合せ:0973-52-3101(日田市大山振興局)
【梅栗うえてハワイへ行こう!を合言葉に ~梅まつりのルーツを辿って~】
大山町が「梅の里」と言われ始めたのは、は50年以上前の昭和36年。「梅栗植えてハワイに行こう!」というキャッチフレーズのもと、大山町で゛農業革命゛ともいうべき運動が起こりました。その運動とは、里山である大山ではもともと不利だった田や畑などの「耕地農業」から、梅や栗などの「果樹農業」への転換をはかるというもの。革命を起こすまでには、なぜ梅なのか、収益性や軽労働、少量多品目、希少価値販売など・・・「大山の農業を変えよう!」という考え方は当時から、芯のあるものになっていきました。
もちろん最初は、水田を果樹園に変える運動に農家は抵抗を見せました。そこで農家の意識を変えるために矛先をまず「若者」に向け、若者層の意識改革から始めたのです。その意識改革のきっかけとなったのが「梅栗うえてハワイに行こう!」という合言葉。
この合言葉が若者の心をとらえました。当時、日本から海外へと自由に行き来が出来るという風潮が漂っていた世の中で、トリスウイスキ―の爆発的ヒットを呼んだキャッチコピーである「ウイスキーを飲んでHAWAIIへ行こう!」という言葉があるほどに、ハワイは若者の消費意欲をかき立てるものになっていたのです。「桃栗うえてハワイへ行こう!」。そのコピーの一部をもじった大山の合言葉が、若者が父を、そして祖父を説得する中で梅や栗の植栽運動として巻き込んでいったのです!
そんな運動が広まっていく中で当時、沢山の梅を使った梅酒は「青いダイヤ」と呼ばれるほどに売れ、町民の労働意欲にどんどん磨きがかかるばかり。そしてとうとう、パスポート所持率が日本一になるほどになりました。
農業革命が始まり20年。名実ともに九州有数の梅生産地となり、「大山イコール梅」というブランドを大切にしようと「日田おおやま梅まつり」が始まったのでした。このお祭りは、梅豊作の儀式であり、梅という誇りのアピールであり、外との交流・連携・協働の願いが込められた「大山の宝物」として、40年もの間、受け継がれてきたのです。