九州観光推進機構が主催する、2019年上期
九州観光素材説明会・商談会の大阪会場に
参加してきたKUROです。
そして本日は、名古屋会場です。
この商談会は、2019上期の商品提案をする、
商談会なのですが、一部旅行会社は、現在来年の
1月~3月の旅行商品造成中の会社もある為、
「天領日田おひなまつり」の提案をあわせて
行っています。
天領日田おひなまつりの魅力は、何か
という事をお話しているのですが、
簡単に言うと、日田市は、江戸時代後期に
全国に4ヶ所、幕府の直轄地で郡代が、
置かれた場所であり、その一つです。
もう少し詳しく言うと、その当時の日田市は、
西国筋郡代(さいごくすじぐんだい)というの
ですが、江戸時代後期以降、九州の幕府直轄領を
支配していました。
1767年豊後日田代官の揖斐(いび)政俊氏が、
それまでの実績を評価されて郡代に昇格して成立
しました。日田代官所がそのまま西国筋郡代所と
なりました。西国郡代ともよばれ、関東郡代(江戸)
・美濃郡代(笠松)・飛騨郡代(高山)と合わせて
幕府の四郡代といわれます。支配地域は時期によって
変動していますが、最大では豊後・豊前・日向・肥前
・肥後・筑前の6ヵ国,高17万石を超えました。
幕末には、九州幕府領の8割以上を管轄しました。
1788年の町明細帳によると家数242・
人数1,120。諸商売があり酒造屋13を
はじめとして医師8・大工6・小間物屋・
桶屋・質屋など、いろんな職業がありました。
その中で、日田で特異なのは「日田金」と
称される金融形態です。多くの豪商のなかに
掛屋と称する商人がおり「日田金」とよばれる
金融資本を大名や九州一円の商人に広く貸付けました。
「日田金」は日田幕府領の郡代・代官の保護を受けた
掛屋商人による商業貸付資本のことで、大名貸しを
はじめとして各種商人に貸付ける在郷貸しには借用
証文には藩役人の奥書も義務付けられていました。
日田の掛屋は千原家・草野家・広瀬家・手島家・山田家・
森家などが著名ですが、広瀬家では九州34藩中20藩に
貸付け、千原家では11藩に貸付を行っています。
「日田金」全体の200万両のうち100万両は大名貸し
でした。
当時、九州の、政治・文化の中心となった
町だからこそ、お雛人形を購入できる余力が、
あったのだと思います。
その当時から、代々受け継いだお雛人形が、
観ることができる町であり、また、コレクション
として、その当時のひな人形を観ることもできます。
「天領日田おひなまつり」は、昭和59年より、
スタートしたのですが、一般公開を「草野本家」が、
始め、それがきっかけとなり、現在では、
日田市内約20軒の施設が公開しています。
これが、現在まで続いている、「天領日田おひなまつり」
です。
写真は、天領ひな御殿の写真です。
そして、説明が長すぎてごめんなさい。
KURO