こちらのブログで先日からスタートした、シリーズ『日田市の日本遺産』。
第3回目は『近世日本の教育遺産群-学ぶ心・礼節の本源-』として認定されている
咸宜園を構成している文化財『廣瀬淡窓旧宅(現:廣瀬資料館)及び墓』に
ついてご紹介させていただきます。
廣瀬淡窓は天明2年(1782)4月11日に廣瀬家の長男として生まれました。
そんな淡窓の生家は、現在『廣瀬資料館』として、遺品・著書類及び当時の生活用品等が
多数展示されています。豆田町の古地図もあったり、江戸後期の文化や生活を
知ることができます。
淡窓は2歳の時生家を離れ、伯父・広瀬平八(月化)夫婦に6歳まで養われます。
ちなみに月化の家は、秋風庵(現:咸宜園跡内にあり)なんですよ。
ここは後に淡窓の住処になります。
また、月化は優秀な俳人で、淡窓の父・廣瀬三郎右衛門においては読書家で
小説を書いたりもしていました。
廣瀬淡窓が咸宜園を開き、漢詩人として名を成した背景には、廣瀬家の文化的環境が
あったことが伺えます。すでに12歳の時には、1日に10首もの句を詠んでいたそうで、
神童と呼ばれていたのだとか。
そして、もうひとつご紹介したいのが廣瀬淡窓のお墓『長生園』。
生前から淡窓は、生家と咸宜園の中間地に墓地を選んでおり
『長生園(ちょうせいえん)』と名付けたのだそうです。
淡窓先生は75歳でその生涯を閉じました。平均寿命が50歳前後と言われていた
江戸時代においては、かなり長寿だったことでしょう。
長い人生を教育一筋に注いだ廣瀬淡窓。そのおかげで咸宜園は優秀な人材が多く育ち、
輩出してきました。
廣瀬淡窓の志に思いをはせながら長生園に足を運んでみるのもいいかもしれませんね^^
すー